2013年8月12日月曜日

眼前にぱっと広がる旧市街―エストニア・タリン

 北京、フランクフルトと乗り継いで、現地時間でも深夜ゼロ時くらい、日本時間にすれば朝の6時くらいに、つまりは名古屋から丸々24時間ほどをかけて僕はタリン国際空港に降り立った。旧市街内にある宿にはあらかじめ到着時間を連絡してあったので、空港からタクシーで旧市街に乗り付けると、深夜ではあったが問題なくチェックインもできた。
 しかし、疲れているはずなのに、何故か眠れなかった。もともと頑固な不眠症に悩まされていて、普段は寝酒を飲んでいる。寝酒のビールでも買おうかと思ったが、バルト三国は大体深夜の酒類販売を禁じているので、それもできない。ようやく4時くらいにベットに潜り込んでウトウトしたが、6時には目が覚めてしまった。

 ウズベキスタンでもそうだったが、旧市街は昼間人でごった返している。だから、散策するなら人のすくない早朝が一番だ。早速僕は人気のまばらな旧市街に繰り出した。宿の裏の坂を登って行くと、ドイツの中世風のまちには似合わないロシア風の教会があった。どうやら、ソ連時代に建てられたものらしい。これにはやや引っかかったが、高台にある展望台から旧市街を一望できたのには、感動した。つい、昼にも、翌日の朝にもこの展望台には足を運んでしまった。
 それにしても、早朝の旧市街はひっそりしていた。観光客の姿はほとんど見かけず、掃除をしている職員らしき人、ランニングをする人などにたまに出くわすだけだ。ぼくは旧市街の風景を独り占めして、歩きまわった。
 それでも、6時くらいから1時間強歩きまわると、大体重要な部分はまわれたような感じだった。僕は8時からという宿の朝食を食べるために、宿に戻った。



早朝の旧市街はひっそりとしている。写真は旧市庁舎。



 朝食後は、携帯電話のカードを購入するのも兼ねて、旧市街からすこし外れたところにあるショッピングセンターに向かった。旧市街でないタリンのまちをどう表現したらよいのかは難しい。少なくとも高層ビルが林立するような都会ではないし、アジアのまちのように人とものでごった返すようなまちでもない。寂れているわけではなくて、活力は十分伝わってくるが、アジアのような強烈な混沌と活気があるわけでもない。
 電話カードは直ぐに購入することができた。店員さんは、流暢な英語を操り、「数日間、観光滞在のためにデータ通信ができるカードが欲しい」という僕のニーズに見合ったものを薦めてくれた。5ユーロ位だったと思うが、十分だった。
 ショッピングセンターは日本のイオンのようなものを想像してもらえば、そう大きく違わないと思う。電話カードはもちろん、服でも、インテリア用品でも、ものはあふれていた。スーパーのようになっている食品売場では、新鮮な肉や魚介類を売っていた。お酒の売り場にはなんと日本酒まで取り揃えられていた。僕は、多少物価が高い旧市街のレストランで外食することを避けるため、その日の夕食のために牛肉を二切れと玉ねぎなどの野菜、ビールとワインを購入した。これでも8ユーロくらいだったから、値段としては十分リーズナブルだ。


スーパーではなんと日本酒まで売られていた。


 買い物をすまして宿にもどり、翌日の予定をすこし考えた。タリンは居心地のいいまちだ。もう一泊する手もあるが、あまり日程の余裕もない。次はラトビアのリガを目指すのだが、タリンからは多少距離もあるし、リガとの中間点にある港町、パルヌを目指すことにする。翌日の夕方に出ればいいから、翌日の午前中は少し郊外に足を運ぶ余裕がある。ガイドブックの地図上に「サイクリング道路」という記載を見つけた僕は、「これだ」とばかりに近郊までサイクリングに出かけることにした。

 自転車は僕にとって羽根のようなものだ。普段から片道10km以上の道を通勤しているし、自転車で遠出することには何ら抵抗がない。なにかおもしろい路地やら、店やらを見つけたら、足の向くままに自転車を進めればよい。タリンでもっとも印象に残ったのは、やっぱりこの気ままな自転車の旅だったかもしれない。

 翌日、レンタサイクルで僕は例のサイクリング道路を通って、近郊の港町、ピリタに向かった。海沿いのサイクリング道路は、サイクリングする地元民や観光客で賑わっていた。残念ながら、バルト海はコバルトブルーの美しい海ではなかったが、湾上を行き交う船にタリンの港町としての重要性を感じることができた。なるほど、ハンザ同盟の都市として栄えたのも納得ができる。北欧と、ロシア方面との物流の中心になったわけである。

 ピリタにはビーチがあるが、おりからの低温で、残念ながら水着のエストニア美女はいなかった。僕は足の向くまま、釣り人が竿を垂れている防波堤の先っぽに足を向けた。

 そうして気づいたのは、海の向こうに巨大な教会の時計塔をそびえ立たせる、タリンの旧市街の姿だった。旧市街自体やや高台になっており、昔の王城があった地域は展望台があるくらいで、旧市街の中でも小高い地域になっている。このため、海から映画のような旧市街の姿が一望できたのだ。感動した。
 その後、急な土砂降りにあって、雨宿りする場所を見つけるまでにびしょ濡れになってしまった。しかし、そんなことを全く後悔させないほど、海からみた旧市街の風景は雄大だった。

 海岸沿いのサイクリング道路を通って帰路につくと、行きにはわからなかったがここからも海に浮かぶような旧市街の風景をもっとはっきり見ることができることに気づいた。行きと帰りで全く見えるものは違うのだ。前に突き進むだけではなく、時に振り返ってみることも大事だな、という陳腐な言葉をふと思い出した。


この海に浮かぶような旧市街の風景は素晴らしかった。


 そうして見事な風景を眺めながら旧市街に近づいてくると、旧市街から少し離れたところにいくつかの高層ビルがあることに気づいた。「あそこに行けば、高いところから旧市街を一望できるかもしれない」。僕が行きとは違う道を選んで、のっぽなビルのふもとまで向かったことは言うまでもない。

 最初に、ツインタワーになっている一番高いと思われるビルに辿り着いた。まずオフィスのようになっているビルに登ろうとすると、5、6階以上はうえに行くことができない。下に降りて周囲を見ると、高層階オフィス用の入口では警備員が身分証のチェックをしていて、勝手には中に入れないらしい。
 そこで、もう一つの、タリンでもっとも高級らしい、スイソテルというホテルになっているビルに登ろうと試みた。が、セキュリテイ上部屋のカギを差し込まないと該当階には行けないらしく、諦めてエレベーターを降りようとしたところ、ちょうど最上階に行く客が乗り込んで来たので、シメシメと同上することにした。
 最上階の大きな窓からは、まず大きな湖と、僕が到着したタリン空港が目に入った。湖をバックに飛び立つ航空機の姿も見ることができ、よい眺めだった。しかし旧市街はちょうど逆方向である。僕は廊下を逆方向に進んで、期待を胸にしながら反対側の窓に向かった。しかし、残念ながら目に入ったのはツインタワーの片割れの無機質な窓だけであった。ちょうど旧市街側の眺望をもう一つの棟が邪魔しているのだ。「これじゃあ超高級ホテルも片手落ちだ」と余計なことを考えたが、それにしても何でわざわざ旧市街の眺望を塞ぐようなビルの建て方をしたのか、謎のままだ。
 しかし、転んでもタダで起きない僕は、ツインタワーの片割れの向こうにスイソテルほどの高さはないが、そこそこの高さがあるラディソンホテルを発見した。ラディソンの向こうには視界を遮るような建物はない。


もちろん、この風景も悪くなかった。


 慌てて1階におりて、自転車を飛ばしてラディソンホテルに向かった。別に景色は逃げるわけではないが。
 ラディソンホテルのエレベーターは難なく最上階へと僕を連れて行ってくれた。最上階はバーになっていて、宿泊客以外でも自由に利用できるのだ。エレベーターを出てバーに入ると、大きいガラス張りになっていて、なんとテラス席まである。逸る気持ちを抑えきれずに、席に案内されるのをまたずに僕はテラスに出てみた。
 最高の風景だった。旧市街をすっぽり眼下に納めることができたのだから。海越しにみたタリンの旧市街は雄大だが、少し遠すぎる。逆に、旧市街内の教会の時計塔から眺めると眺めは良いが近すぎるし、全貌を見渡すことができない。しかし、このテラスからは僕からすれば、近すぎず遠すぎず、完璧な旧市街を眺めることができたのだ。


テラスからの旧市街の眺め。言葉を失った。


 長時間のサイクリングや雨に降られた疲労を忘れ、僕は1時間以上は、眺めに見入りつつビールを飲み干した。

 タリンは本当に美しいまちだった。あてもなくさまよったわけではないのだが、何故だか、高校の修学旅行での金沢で、にわかに眼前に犀川の絶景が開けた時のことを思い出した。

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