2013年8月13日火曜日

パルヌ―ヨーロッパでは現地人と交流しにくいか

 僕がアジアや中国の辺境を好んで旅するのには理由がある。物価の安さというのもあるが、一番は現地人がフレンドリーだからだ。現地人のフレンドリーさでいえば、もうウズベキスタンの右に出る国はないだろう。数分あるけば一度は「ハロー」「こんにちは」と声を掛けられるし、「写真撮って」の攻撃も凄まじい。
 そうして記憶をたどってみると、例えば韓国人はフレンドリーだが、シャイである。漢民族は、もちろん到底一括りにできないのだけども、フレンドリーだし、韓国人ほどシャイじゃない。ウイグル人は民族性なのか、ウズベク人とほとんど同じだ。ベトナム人は、一ヶ月くらいかけて縦断したにもかかわらず、最後までよくわからなかった。なんだかこうしていろんな民族がどれくらいフレンドリーか考えだすと楽しいが、少数民族まで踏み込んで行くとそれだけで一記事できてしまいそうなので、これ以上は触れない。

 だから、ヨーロッパに来た時には、あまり現地人との触れ合いだとか、交流ということは考えていなかった。そしてもちろん、まちなかを歩いていても、呼び止められることなどは一切なかったのである。

 先にすこし横道にそれて、パルヌの話をしよう。もともとはパルヌの話のはずだから少し逆説的ではあるのだが。
 パルヌは、本当にちいさな港町だった。タリンの旧市街を歩いていると日本人もたまに見かけたが、ここではさすがに全く見かけない。また、本来はビーチリゾートとして有名な避暑地だそうだが、ここ数日全く気温が上がらないため、リゾート客でも賑わうことはなかった。

 しかし、私にとってパルヌは過ごしやすいまちであった。レストランを探すときにもともとガイドブックはあてにせず、現地人で賑わっているところに飛び込むのが僕のスタイルだが、あまりにも人がいない。それで、まだ味わっていないエストニア料理でも食べるかと、某ガイドブックに「毎日通っても飽きない」と大層な褒め言葉が記載されていたカドゥリという料理屋に入ることにした。
 まだ11時くらい、お昼前の時間だったので、朝食的なものと、スープしかないということだった。それでスープを頼んだのだが、これが絶品だったのだ。これは意地でもお昼時の料理も食べねばならぬと、昼時までまって、ゆでタンだかの料理を頼むと、またもや絶品である。この日、リガのまちに出発するのだが、意外にもバスが満席だということで、昼の2時くらいに散策を終わった僕は、早めの夕食もカドゥリで取ることになった。ついでに言っておくと、値段もせいぜい4、5ユーロくらいで安かったし、お店のおばちゃんは英語は今ひとつだったが間違いなく親切だった。

 もうひとつ、パルヌの点景を指摘するとすれば、意外にも五稜郭型の城塞都市だったということだ。中学生のころ従兄弟の留学していたドイツのミュンスターという都市に滞在したことがある。そこで、従兄弟の通っている大学を散策したところ、昔のお城だと説明を受けたこと、お堀の形が特色的でギザギザしていたことを微かに覚えていた。高校生になって五稜郭に行く機会があったが、五稜郭に「世界星形城郭サミット」のような案内が貼ってあり、なんとあのミュンスターが載っていたことは衝撃的だった。それで、当時調べてみると、星形城郭というのは17世紀あたりに様々な計算から、もっとも優れた城塞の形として流行したものということがわかった。僕は要塞マニアではないが、この話は衝撃的であったため、今でも覚えていたのだ。
 それで、パルヌのこじんまりした旧市街を歩いていると、大きな地図があり、ヒトデのような星形城郭の足のうち一本だけが残っているような部分が目についた。はやくも記憶が曖昧なのだが、まちの西はずれには旧城郭の堀が残っているという説明があったのではないかと思う。いずれにせよ、五稜郭での衝撃と同じ衝撃が僕に走り、記憶の深層に埋もれていたミュンスターと五稜郭の件が蘇ったのである。
 早速まちはずれに足を運んで見に行ったが、別段感動するというほどでもなかった。まあ、ヒトデの足一本しか残っていなかったのが原因かもしれないが、まあそれはいい。

 本題か横道かの区別がめちゃくちゃになってきたが、本題にもどって、ヨーロッパ人との交流の話である。

 話はパルヌ到着の夜に遡る。タリンを夕方6時くらいのバスで発った僕がパルヌにつくと、夜の9時を回っており、さすがに暮れるのが遅いバルトの夏でも薄暗くなっていた。前日、タリンにてインターネットで予約しておいたホテルに行くと、入口に鍵がかかっていて入れない。営業時間表示を見ると、どうやら営業時間が終わってしまっているようだった。困り果ててひと通りあたりをウロウロしてみるが、入口らしきものも見当たらない。電話番号が壁に書いてあったので、ほぼネット以外で使うことがなかった携帯電話で電話してみた。そうすると電話が通じて、要するに「もう営業時間が終わって帰ってしまったけど、あなたの部屋は101だ。入ったところにカギも置いてあるから、代金は明日払ってくれ」ということだった、「どうやって入口から入ればいいのか」と尋ねているところに中から人が出てきたので、慌てて便乗して中に入って、ようやく宿を確保することができた。

 ホテルの前はテラスのビアガーデンのようになっており、何も食べていない僕は食を求めてそのテラスに座った。ところが、なんと、もうフードの提供時間は終わったということで、空腹のままビールを一杯のんで、食を求める難民となった僕はまちをさまようことになった。
 バスターミナルの方に行くと、どうやら1軒のハンバーガー屋さんが営業しているらしい。僕はカウンターに駆け寄り、ハンバーガーを一つ注文した。

 エストニア人の二人と出会ったのはここだった。ハンバーガーが出来上がるのを待つ僕に、真夜中で誰もいないテラス席に二人座っていた二人と「どこから来た」「日本人だ」と会話したのが始まりだったとおもう。「まあとりあえず座れ」と言われるがままに僕は彼らの隣に座った。
 彼らはそれぞれ自分の名前を名乗ったが、もう忘れてしまった。記憶力の悪さには自信がある。僕は外国人に対して「Yujiro」なんて長ったらしい名前を言って覚えてもらえないことはよく知っているので「Yu」と名乗るようにしている。英語の二人称と少々紛らわしいが大体これで先方は覚えてくれる。

 彼らは僕より少し年上で、既に結婚もしており、ロシア系のエストニア人らしい。とりあえず、ピバ(=ビール)以外の僕の僅かなロシア語の知識を駆使して「ハラショー」と適当なところで相槌を打っておいた。これが結構ツボだったのか、二人は大受けだった。
 旅行か、何日くらいか、いつ日本に帰るのか等々この種の出来事の際に基本とも言える会話をすると、一人が「まあこれを飲め」といってペットボトルに入ったコーラを差し出した。もともとコーラはそんなに好きでないし、ましてぬるいコーラならなおさらのこと、しかも睡眠薬を入れられているかもしれないという問題もある。が、睡眠薬の件は、パルヌという田舎町で深夜駅前のハンバーガー屋に外国人観光客が入ってくるのを待ち構えていたとはさすがに思えなかったし、現にさっき彼らも飲んでいたのだ。他は我慢して、結局飲んでしまうことにした。
 ―ん?
 一口飲んで味が明らかにおかしかった。まさか睡眠薬か、まずいと一瞬思ったが二人は悪意なさそうに笑っている。そうだ、どこかで飲んだ味。おかしいと思ったのはアルコールが入っているからで、これはラムコークだ。そう気づくのに数秒ほどの時間しかかからなかった。「驚いたか。キャプテン・モルガンを入れてあるんだよ」と有名なラム酒の銘柄を挙げて種明かしをされた。その後は酒盛りとなり、一層打ち解けた。
 そうこうしていると、一人が「今奥さんは子どもを連れてアゼルバイジャンまで行ってるんだ。今僕たちはフリーなんだよ」と言い出す。もう一人がすかさず「これからの予定はどうなの。僕達はクラブに行って女の子をピックアップするよ」という。アヤシイ。そうして大いに飲ませておいて巻き上げるつもりに違いない。ここまで無警戒で付き合って来たからってなめてもらってはこまる。こう見えても百戦錬磨の海外旅行者さ―。
 と、思いながら「よし、行こう」と二つ返事というのは脚色が過ぎるかもしれないが、あっさりOKした。断っておくが女の子をピックアップしたいと思ったわけではないし、現にそうしてもいない。やっぱりエストニアの地元民とお酒を飲むというか、少しでも地元の生活に触れて見たかったのである。
 それでついて行くと、どうやら一軒目はまだ人が少ないらしくダメ、二軒目はローマ字で「KARAOKE」と書いてあるカラオケ・バーらしき外観のところだったが、それなりに賑わっているようで早速入っていった。1階だし、外に窓もついているので安全そうであもあった。カウンターで確か3ユーロだか、5ユーロくらいを入場料として払った気がする。あとはバーカウンターでキャッシュ・オン・デリバリーで購入するシステムらしい。
 それで、中に入って分かったが、クラブというよりは日本でいうと場末のスナックのような感じで、カウンターと幾つかのソファーがあり、正面にステージがあってカラオケを歌えるようになっている。とは言え客は思い思いの歌を歌って、踊っていたから雰囲気的には少しうるさくないクラブのようなものだろう。
 二人組は男女問わずいろんな人に声をかけていた。その中に休暇で一人でエストニアに来ているフィンランド人がいたので、さらに別の人に声をかけるのに忙しい彼らをそっちのけで少し話した。なんでもフィンランドにくらべてエストニアは大分物価が安く、夏休みにはこっちに来て遊んでいるということだった。日本のアニメも好きだという話で、映画「かもめ食堂」みたいだと一人おかしかった。
 そうして飲んで気分も良くなってくると、カラオケに挑戦する意欲が湧いてきた。もともとカラオケは大好きだし、人前で歌ったこともあるので、ここはひとつ客をあっと言わせてやろう。英語の曲は総数も少ないし、もともと知っている歌も少ないので、曲はあっさり決まった。
 ―When the night has come...
 入れたのは「Stand by me」。多少酔っ払っていたので勢いで入れたが、歌い出すと一瞬会場が、シン、と静まり返って踊っている人たちも踊りをストップしてしまったのでこっちが内心面食らった。静まり返ったのは10秒もなかっただろうか、また来客たちは思い思いに踊りだした。曲が盛り上がってきて最後の間奏に入ると、一人の女性が「一緒に歌っていい」と声をかけてくれた。もちろんOK。エストニアでの即興デュエットだ。曲が終わると、会場から、文字通り割れんばかりの拍手を浴びた。そもそも田舎の、ローカルなカラオケで日本人は珍しいだろうし、居合わせた客にとってはいわば異世界の人物が普通に慣れしたしんだ曲を歌ったのが新鮮だったのかと思う。すっかり気分がよくなってしまった僕は、さらにクラプトンの「Tears in heaven」を歌った。かなり会場の雰囲気が盛り上がってたところを少ししんみりさせてしまったが、やはり皆知っている曲だけに一緒になって歌ってくれたりして、一体感が心地よかった。

 席に戻ると、結局もともと僕を誘ったロシア系エストニア人の二人はどこかに行ってしまったかなにかで、見当たらなかった。ただ、僕とフィンランド人が座っているソファーにはいろんな客が乾杯に来てくれ、彼らがどうなったかも考える余裕もなかった。

 ヨーロッパ人よりもアジア人のほうがフレンドリーだ、というのは誤解だったかもしれない。結局は飛び込んでいくかどうかなのだ。

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