2005年3月5日土曜日

ハノイ―奇妙に自然な場所

 8年ぶりに降り立ったハノイの地を目にしての感想は、「あんまり変わってないな」というものであった。8年前に空港には寄っていないが、ノイバイ空港はそれなりに老朽化した、簡易な施設に思えた。あるいは空港からハノイまでの高速道路などは新しく作られたものなのかもしれないし、工事中の橋梁などはかなりの規模のようには見えたが、全体的な印象は変わらない。
 理由の一つは、どうしても中国との比較で見てしまう点だろう。8年前にはじめて上海に足を踏み入れて以来、毎年上海には行っているし、別の地域もそこそこ見ている。8年前の上海の地下鉄は4号線くらいまでだったかと思うが、今や10号線を越えていて、わけがわからない。路上にあふれていた自転車も、今やスポーツサイクルで走る人を見るほどで、当時とは隔世の感がある。8年前は路上を走る自動車は、タクシーかトラックかバスがほとんどだったのが、今や自家用車が大半である。
 それと比べてみると、ハノイにはあいかわらず摩天楼はないし、バイクが溢れ、多少自家用車が増えたかという印象があるだけだった。
 別に、マスメディアが喧伝するほどベトナムは発展していないんだとか、なんらかの見解につながるようなことを述べたいのではない。ただ、見て感じたままを漠然と感想として述べたまでである。
 空港からホテルまでバスに乗り、ハノイ市内に入ると、ふと見覚えのある堤防というか、城壁用の壁というかが目に入ってきた。8年前、自転車で快走した思い出が鮮やかに蘇って、思わず「8年前ここを自転車で走ったんです!」と同乗する日本語を解するガイドに話しかけた。ガイドの反応は「ハノイは自転車よりもバイクの方が多いよ」といったかみあわないものであったが。


ハノイの旧市街。この雑多な感じがたまらない。

 それで話は8年前に戻る。
 バクハ、サパを回った私は、ラオカイから夜行列車でハノイを目指すこととした。バスもあるが、昼間移動するには時間がかかりすぎるし、また私は基本的に夜行列車が好きなのだ。ラオカイの駅前で電車を待っていると、イギリスだったかスペインだったか2人いて両方だったかもう忘れたが、近くに座った欧米人とビールで乾杯し、薄暮れのテラス席で、持っていたギターで知りうる限りの英語の歌を歌ったのがよい思い出だ。一緒に最初「これを歌えるか」とドナドナのメロディーを口ずさみだしたときは多少面食らったが、ベトナムと中国の国境まちでなぜかドナドナを盛大に合唱してきた。

 ラオカイからハノイに行く夜行列車の時間設定は奇妙で、夜の8時くらいにラオカイをでて朝の4時くらいにハノイに到着する。2等寝台では何人かのベトナム人と同室になったが、外国人である私を珍しがるでもなく、ごく自然に同部屋の乗客として迎えてくれた。逆にいえば、中国でよくあったように、好奇の目で見つめてあれやこれやと質問を浴びせてくるということも一切なかった。

 そうして、電車はまだ日の出前のハノイ駅に到着した。さっさとバイタクで移動して宿探しをしようかとも思ったのだが、例の「バイタクはボッタクリが横行している」とか「人気のいない場所に連れて行かれて脅された」というようなガイドブックの注意書きがさすがに怖かったので、駅のベンチで明るくなるまで時間を潰すことにした。
 日が登りかけて、大分明るくなったころ、僕はバックパックとギターを背負って、安宿街のある旧市街へと歩きだした。
 ハノイのバイタクは、というかハノイのあらゆる物売りの人は、すごい。
 何がすごいかというと、十中八九、満面の笑みでこちらを見て「ヘイ」とかいいながら声をかけてくるのである。そのあまりの笑顔に、つい足を止めてしまうのだが、単なる客引きと分かってまた歩き始める。これはなれるまでに大分時間がかかった。「営業はまず笑顔」と言われることがあるみたいだが、ハノイでその意味をはじめて理解した気がする。

 「ハノイは変わらない」という話の続きをするのであれば、8年後のハノイのバイタクおじさんたちも、相変わらず満面の笑みで声をかけてくれた。屋台のおばちゃんだって同じである。すこし店先で物欲しそうに見ていると、すぐに満面の笑みで食べるように促す。もっとすごいのは、地元民が集まる市場に入り込んでウロウロしているときですら、物珍しそうに店を見て回る一見してストレンジャーな私に対しても、店のおばちゃんたちはやはり満面の笑みで手招きすることである。

 安宿街はすぐに見つかり、僕は2ドルだかの安宿にチェックインした。早速レンタサイクルを借りて、街に繰り出すことにした。



川沿いを北上する。

 別に目的があったわけではない。なんとなく地図を見て、旧市街を抜けて、湖をみつつ川沿いに北上して、上述の堤防道をとおり、大きな橋を渡った。特に橋をわたってからはのどかな風景だった。川沿いの道をゆっくり下っていったが、日本の農村を思わせるようなのどかな風景が続いた。

 不意に重さを感じた。なんとベトナム人男性が自転車の荷台に座り、二人乗りをしだした。何を言っているかはわからないが、私の進路方向に進むのでちょっと乗っけてくれと言っているみたいだった。
 3分も立たないうちに2人の道中は終わり、彼は自転車を降りていった。何か盗まれるのではとすこし警戒心を持っていたが、もちろん、なにも奪われることはなかった。


木の皮?を干している。こういうのどかな風景を眺めているところに突然二人乗りされた。


 ハノイは本当に自然なまちだった。韓国、中国ではまるで透明人間のように外国人として扱われない。ベトナムに入ればそうでもないかと思っていたが、そうでもないようで、そうでもあるような、不思議なところだった。彼らにしてみれば、いつもどおり笑顔で営業して、笑顔で外国人料金を請求し、笑顔で僕の自転車に飛び乗る。警戒心の高い僕を、ハノイは自然に受入れてくれた。そして、それは8年後も全く変わらなかったのである。

昔ながらの機関車が走っていた。


0 件のコメント:

コメントを投稿