2012年4月30日月曜日

桂林-バックパッカー再び



   上海を1時間半遅れで飛びだった飛行機は、苛立った乗客をのせて桂林の空港に滑りこんだ。ただ、私は遅延についてあまりジリジリしていなかった。中国の国内線が遅延するのはいつものことだし、どのみちその日は桂林で泊まるだけで、他の予定がなかったからだ。ジリジリするだけ損であるし、バックパッカーはそんなことで苛立ってはいけない。
   桂林は8年ぶりだった。前回訪れたのは真冬だったから寒いくらいだったが、5月の今回は飛行機のタラップから足を一歩踏み出すとまるで日本の真夏のようなむわっとした空気が体をつつみ、思わず「あつっ」ともらしてしまう。隣を歩いていた中国人も「暑すぎる!」と言っていたくらいだから、決して誇張ではあるまい。
   空港からのリムジンバスを降り、多少の値段交渉の上、ホテル(といってもドミトリーだが)に向かうバイクタクシーに乗る。バイクは、川沿いに桂林の町を北上した。もう真夏と言っていい気候だろう、老若男女は短パンTシャツのような軽装で河原の公園にて涼をとっていた。既に9時を回っており、日本では考えられないほどの人出だ。バックパックを背負って旅にでるのも5年ぶりくらいだろう。バイクタクシーにのって地方都市の喧騒を突き抜けて走るうちに、懐かしいバックパッカーの感覚が蘇った気がした。
   ホテルはやけに空いていた。6人用のドミトリーは3人しか入っておらず、他に宿泊者も見かけなかったから、全部で3人だろう。拡張工事中か何かなのか、解体中のビルのような、粉っぽい匂いと感じがし、少々息がしにくかった。部屋は清潔だが、このへんの問題で宿泊客が少ないのかもしれない。


   荷物を置いて、遅い夕食をとりに外に出た。既に10時を回っていたし、翌日5月1日はメーデーで休日のため、ほとんどレストランは開いていない。10分ほど徘徊して、なお開いていて、他に客が入っているレストランに目をつけて席につく。地元客で賑わっている店はたいがい美味しい。
   トマトと卵の炒めものと、焼き豆腐を注文し、ビールを飲みながら一人で久々の休日とバックパッカー気分を味わっていると、店員の一人が声をかけてきた。旅行者然としていたからであろうか、「桂林名物だから食べてみろ」(前の客の残りものであったのはご愛嬌だが)と鍋物を勧めてきたのである。この店員はこれまた前の客の残したビールを大事そうにちびちびやりながら、隣の席でその鍋を食べている。私も自分の皿とビールとともに移動した。「桂林名物」はなかなかうまかった。牛の腸だったか、なんと言っていたか忘れてしまったが、見た目は切り干し大根を更に細長くしたような干豆腐という感じである。
   そうして話しているうちに、私が日本人だということがわかると、彼は「こんにちは」「おいしいですか」とカタコトの日本語をいくつか喋り出した。なんでも、学生のころ日本語を勉強しようとトライしたが、50音をなんとか覚えるくらいでやめてしまったそうである。
   そのあとも色々話をした。私がこれまで訪れた地について、お互いの家族構成、日本と広西省の収入比較、彼は結構話し好きなタイプと見えて、話しだすと止まらない。なかでも印象深かったのは、日本のアニメの話である。彼はアニメ好きと見えて、スラムダンク、ドラゴンボール、クレヨンしんちゃんなど、有名なアニメを次々と挙げ、非常に好きだと言った。その中で「イーシュウ」という名前がでてきて、何のアニメかわからずに戸惑った。わからないと私がいうと、「お坊さんが出てきて……」とさらに続ける。お坊さんをキーワードに「イーシュウ」に該当する漢字を色々思い出していくと、「一休」の字が浮かび、まさに一休さんの如く「チーン」と閃いた。私が両手の人差し指の指先で頭をぐるぐる擦り付ける動作をすると、彼も勢いよく「そうだそうだ」という。「一休さん」は我々の世代にとって知らない人がいないであろうほど有名だが、まさか中国人が知っているとは思わず、驚いた。あとで知ったことだが、「一休さん」は中国はおろかヨーロッパでも有名らしい。


一休さん好きのおじさんと


   そうこうしているうちに、久々にバックパッカーに戻った最初の夜は更けていった。ここ最近、海外は団体旅行か出張で上海などの都会に行くことが多かった。遅延にも苛立たない感覚、8年ぶりの桂林の喧騒をバイクタクシーで突き抜ける爽快さ、ちょっと空気の悪いドミトリー、いきなり入ったレストランで現地人と話し込むこと。
―こういう感じ、悪くない。
   久々にバックパッカーの感覚を取り戻したようで、仕事やなにやらに追われまくる日常で荒んだ心がすこし回復したような気がした初日だった。