2004年12月13日月曜日

出発―旅にでる理由




 不思議なものだ。
何故か、バンコクまで、飛行機を使わずに行ってみたい。
そう思った。

 そうすることに意味があるのか、と言われると返答に困る。
いくらかそれらしい理屈をつけようとすると、距離というものを肌身で感じてみたかったから、ということになるのかもしれない。

 別に旅をするのに理由は要らないと思う。
ただ、いずれにせよ、旅に出るのなら、何かしら主題があった方が達成感があるし、楽しめる。別に、気の置けない仲間と騒いで、日ごろの鬱憤を晴らすというものでもいい。
 あるいは、自分の将来や自分自身に迷って、日本を飛び出してみる、ということもあるかもしれない。

 旅の本質とは、日常からの逃避と手軽な達成感を得ることにある。
 もちろん、それだけには限られない。しかし、多分、それはひとつの真実だろう。
そして、それは決して悪いことではない。
 次のステップへの活力につながる限り。

 よく、山登りに対して「なぜ山に登るのか」という問いが立てられる。
そして、その答えは「そこに山があるから」なのであるが、山登りも同様な性質を持つように思う(ただ、山登りの場合は手軽な達成感の方に重点があろうが)。


 ともあれ、僕が、バンコクまで飛行機を使わずに行ってみたい、と思ったひとつの理由に、その二つがあったことは否定できないようである。



大阪南港を出発するときの夕日



 年明けの4月から、社会人になる。
大体12月から、3月いっぱいは時間がある。
この時期を逃したら、もう一生大旅行はできない。
そして、自分の目で見ておきたいものがある。自分の足でふみしめたい場所がある。
 飛行機を使わないで行くという問題にかかわらず、特に中国に再び足を向けたのはこれが理由だ。中国の地名には、幼い頃から慣れ親しんでいる。僕は、史記・三国志などの本が好きで子供の頃夢中になって読んだ。小学校だったか、中学校だったか、社会科の授業の時間、退屈に任せて地図帳を広げ、本の中で見慣れた地名が今も存在することを知って、はるかな土地に思いをはせたものである。


 僕の予定したルートは、大阪から韓国のプサンに船で入り、ソウル近郊のインチョンからさらに船で中国のどこかに入る。その後、中国国内の目的地を回って、雲南省からベトナムに抜けて、ベトナムを横断してカンボジアを抜けタイのバンコクに入るというものだった。

 漢字文化圏に興味があった。
 韓国は、現在のハングル文字を使う前はすべて漢字を使っていたし、ベトナムもフランス植民地時代に現在のアルファベットを原型に持つ文字を使うようになった。韓国語で「ありがとう」は「カムサハムニダ」だが「カムサ」は「感謝」と書いたはずである。ベトナム語では「カムオン」だが、これは「感恩」から由来していると聞く。
 つまり、日本、韓国、ベトナムは言語学的な系統は違いがあるものの、基本的に中国から大幅に言葉を輸入していることで共通しているのだ。
 その漢字文化圏を越えて、インダス文明に源流をもつ、カンボジア・タイにむかう。ルートに関していうと、大まかにはそういう理由で決定した。

 日本にどうしても用事があるので、一度香港から日本に帰らねばならない。だから、香港からは日本まで飛行機で往復することにした。これなら、距離感を図り間違えることはない。
 あとは、行くだけ。
僕は、荷物をつめ、例によって旅の必需品のギターを背負って、大阪発プサン行きの船に乗り込んだ―。