2004年8月13日金曜日

洗礼(1)


 本当に上海駅に帰れるんだろうか。。。このままどこかに監禁されて身包みはがされるんじゃないのか。。。小心者の僕は、中国人3人が同乗する車のなかでそんなことを考えていた。

 話は、その日、つまり上海上陸の次の日の朝に遡る。「奔流」の人たちと蘇州に日帰り旅行をすることを決めた僕は、「奔流」メンバーたちが宿泊するホテルへバスで向かった。ところが上海の道路事情は悪く朝から大渋滞である。結局歩いていくのと同じくらいの時間をかけてホテルに到着。大分待たせてしまった。
 後から考えると、この時点で今日は何か歯車が狂いかかっていたのかもしれない。
 さて、全員そろって電車のチケットを購入し蘇州に向かう。ここまではよかった。蘇州まで電車で一時間弱の小旅行。目に映るすべてのものが新鮮だった。上海駅前に集まる(群がる)民衆の群れ。荷物預かり所での、店員との会話。中国の電車と、その車窓の風景。
 蘇州は、春秋時代の呉の都があった場所である。「臥薪嘗胆」の故事の生まれた国である。伍子胥!范蠡!僕の心はすぐに英雄たちへと飛んで行った。
 しかし、そんな僕を現実に引き戻すかのように、電車を降りた僕らを待っていたのは、客引きたちの群れであった。蘇州は、今では水郷として有数の観光地となっている。
「金というものは、人間の行動を規律するひとつの普遍原理である」
 今後、旅を続けるにつれ思い知らされたことを始めて痛感したのは、この後起こることを含めたこの日の一連の出来事だった。
 客引きの彼らは、とにかくすごい。延々と頼みもしないのにいろいろしゃべりかけてくる。タクシー乗らないか、一日ツアーはどうだ等々。帰りの電車のチケットを買うために窓口に並んでいる僕らにもまだ延々としゃべりかけてくる。
 僕の上海発の電車は16:50ごろ。この日上海駅に帰ったその足で、蘭州行きの寝台列車に乗り大移動するのである。奔流の人たちは18:00くらいに上海駅近くのホテルに帰ればいいので、僕は先に帰らなければならない。「奔流」メンバーのチケットは容易に買えたのだが、僕の要求を満たすチケットはなぜか「没有(ないよ)」といわれてしまった。困った僕だが、車で行けば一時間ほどで上海駅に戻れるそうなので、そうすることにしてとりあえずレンタサイクルを借りて市内観光に向かうことにする。
 レンタサイクルを探して、僕らは客引きの一人についていった。当然向こうは値段を吹っかけてくるので交渉が必要になる。結局一人一日12元になったが、あとで街中の自転車屋の看板を見ると一日レンタルで4元と言う値段表示があった。まんまとだまされたわけである。それはともかく、デポジットとしてパスポートを預けなければならなかったのだがあいにく持っているのは僕だけ。そこで、僕だけが先に帰らなければならないことを説明して、僕が先に自転車を帰しに来たときにパスポートを返してもらうがよいかと尋ねる。いろいろやり取りはあったが向こうは頷くので通じたと思ってぼくのパスポートを預けて出かけた。今にして思えばこれが大きな誤りだった。冷静に考えれば、向こうは僕ひとりが帰ってきたときにパスポートを渡してしまえばデポジットを預かっている意味はなくなるわけで、そんなことに同意するわけはないのであった。それに気付いたのは、観光を途中で切り上げ皆にお別れをして、レンタサイクル屋に戻ってきたときだった。
 僕は自分の借りていた自転車を返すのと引き換えに、パスポートを返すことを要求したが当然向こうはほかの3人の自転車と引き換えでないと渡せない、という。電車の出発時刻まであと2時間と少ししかない。こっちも必死だったので日本語で怒鳴りながらいろいろ交渉した。結局僕の上海から蘭州行きの切符と時刻をみせて必死で訴えると、200元置いていくことで許してもらうことができた。ほかのみんなに書置きだけ残して、すぐに車をチャーターするために駅前に急ぐ。
 気持ちはあせるばかり。あわてて道路を渡ろうとするから、自転車に轢かれかける。僕は、ダッシュで駅前にたむろする客引きの前に戻った。
「上海まで車で行きたいのだが」
こういうとすぐに人が寄ってきた。電車のチケットを見せて説明をすると、
「君はこの電車に乗らなければならないんだろう」
と、足元を見られる。結局200元払って上海まで乗せてもらうことになった。行きの電車賃はたった30元ほどだった(もっと安かったかもしれない)。
 ともかくも、これで時間内に上海に帰れる、と安心して交渉成立後おっちゃんについていったのだが、なぜかすぐ車が来ないらしく15分ほど待たされる。「快点(急いでくれ)」と書いて見せるが「大丈夫、30分前には上海駅に着くよ。保証する」というだけである。
 そんなこんなで、やっと車が来たと思ったら、なぜかすでにおっちゃんの知り合いらしき人が2人乗っている。どういうことなんだろう―という僕の心配をよそに車は観光客でにぎわう蘇州駅の前から上海に向け出発した。
 こうして冒頭のような状況が出来上がったのである。


  
 僕は監禁されたくはなかったので中国に住んで仕事をしている姉の元に電話を入れようと思った。そこで、おっちゃんに携帯を貸してくれと頼むと案に相違してあっさりOK。早速電話を入れてみる。
「ちょっと困ったことになった―」
僕は一部始終を話すと
「200元払わされたのはしょうがないだろう。ちゃんと上海に行くか聞いてあげるよ」
というので、おっちゃんと電話を交代した。
 よくわからなかったが、いろいろ会話をした後、安心しろ、絶対上海まで行くからとおっちゃんがいってきた。おっちゃんの電話番号も姉が知っているわけであるし、もう無茶なことはすまい。ようやく僕はほっと胸をなでおろしたのであった。
 工事区域の多い高速道路で途中何度も足止めをくらいながらも、僕を乗せた車は発車時刻の10分少し前に上海駅前に文字通り滑り込んだ。僕は、猛ダッシュで預けてあった荷物を受け取り、改札口に向かう。中国の駅は、最初に構内に入るために改札があり、そこで荷物のX線検査をすまし、自分の電車用に指定された待合室で待ち、時間が着たらさらに改札を受けてホームに下りるシステムである。最初の改札をすぐに済ませた僕は、電光掲示板で自分の待合室を確認した。2階の奥のほうである。時計を見るとまだ発車まであと7分ほどある。改札は発車の5分前で打ち切られるのでぎりぎり間に合いそうである。ところが、掲示板で確認した待合室に行ってみると、待合室の掲示板では別の電車が表示されている。変更にでもなったのか―僕はまた猛ダッシュでインフォメーションにむかった。そこで教えられた、階段の下の待合室に行くと誰もいない。おかしい、とおもって暇そうにおしゃべりをしていた駅員にチケットを見せるとどうやら最初に行ったところであっているらしい。
 人間って、いざ、っていうときになれば何でもできるんだな。
 
 蒸し暑い8月の上海駅を汗まみれで重い荷物を背負って駆け回りながらそんなことを考えていた。意外とこんな状況でも頭は冷静である。さて、最初の待合室に戻ってみると実は待合室の掲示板のいくつかあるもののうち、前方のほうの掲示板に僕の乗る電車が出ていたのであった。あまりに近すぎたのと、あせっていたので見落としていたのである。
 まだ、発車まで2分ほど残っていたものの改札はすでに締め切られている。係員に日本語とも中国語ともつかぬ言葉にならないような叫びで呼びかけるが、彼はただ首を振るだけ。そうこうしている間に発車時間は過ぎてしまった。
―乗り遅れた。やってしまった―
 僕は燃え尽きてしまった明日のジョーのようにベンチにへたり込んだ。
 そのときはわかっていなかった。電車に乗り遅れたくらい、まったく大したことではないということを。