2004年8月27日金曜日

ちっちゃなオアシス-安西


 その女の子は、僕の乗るタクシーを道端で止めて乗り込んできた。安西という小さな町に帰るタクシーの中での話しだ。


 敦煌による途中、僕はバスを途中下車して安西という町によることにした。ここには楡林窟という大きな石窟があるのだ。
 安西の町は、本当にちっちゃなオアシスだった。小説「敦煌」の時代、宋の末期には瓜州と呼ばれていた。そのころ、この町は焼き払われて廃墟と化しているのだが今はもちろんそんな影もない。
 バスターミナルの周辺には、ホテルやら何やらが固まっていて一通りのものはそろっている。しかし、そこから10分も歩けば茫漠たるゴビのなかだ。


ひたすら茫漠たるゴビがつづく




 中国の田舎にある観光地に行けば、たいていの場合公共の交通機関はないと思っていい。楡林窟にどうやって行けばいいとバスターミナルで尋ねると案に相違せず「100元でタクシーをチャーターしろ」とのことだった。
 安西の市街地から、楡林窟へのタクシーの移動はそれだけでも十分すばらしかった。果てしないゴビ。草一つ生えない岩山をこえ、時に小さなオアシスで羊や牛たちの放牧されている姿を見る。雲ひとつない青空、そして、また果てしないゴビ。
 楡林窟はそんな風景をこえて一時間ほど行ったところに、突然出現した渓谷の両脇にあった。もとは平坦だったのだろうが、長年の侵食の末2,30メートルほど水面は台地の下にあった。水辺には木々が生い茂り、花も咲き、蝶が舞う。こんな草一つないゴビの中でかくや、と思えるほど神秘的な場所だった。かつても決して交通の便が良かったわけではないだろうが、なるほど、石窟を掘るにはもってこいだ。
   
 そして、石窟自体もまたすごかった。有名な敦煌の莫高窟もそうだが、このような石窟小さな個々の石窟の集まりでできている。当時の豪族や、豪商がお金を出して石窟を作らせるそうである。
 その、何百かある石窟のうち、十数個が一般の観光客に開放されており、我々はガイドさんに従ってそれを回ることになる。ここの石窟の扉には厳重に鍵がかけてあって、毎回ガイドさんが鍵を開けて入る仕組みになっているのだ。そこで僕が見たのは、こんな辺鄙なところによくもまあこんな巨大なものを、とため息が出るような大仏。劣化していることは否めないものの、見るものに感銘を与えるに十分なほど色鮮やかな壁画たち。特別窟という、入場料に加えさらに何百元か払わないと見られない窟は拝観が叶わなかったが、十分に満足することができた。
 そうして、僕は待たしておいたタクシーに乗り込んだ。


楡林屈はゴビの真ん中で神秘的な美しさを放つところだった






 前置きが長くなったが、女の子はその帰り道、市街地まであと20分くらい、という大きな農場がちらほら見えるオアシスで車を止めて乗り込んできた。
「ニーハオ。★◆◎▲!?」
と、助手席から後部座席に座る僕に話しかけてきたがもちろん何を言っているかさっぱり分からない。例によって、筆談用のノートを差し出して会話をした。
 何人だ、どこから来て、どこに行く。何の目的でここに来たのか。大体そういう内容の会話をしていると、彼女も敦煌に行く予定があるらしく、一緒にいかないか、とか、今日は安西に泊まらないのか、何か手助けをしてあげるよ―と親切にもいろいろ申し出てくれた。僕は、その日のうちに敦煌に着きたいと思っていたので、そういうとどうもバスはもうないのではないか、ということだった。そうこうしているうちに、市街地に着くとやはりバスターミナルは閉まっていて入ることすらできない状態だった。大きい荷物をターミナル内の寄存所に預けていた僕は打つ手もなく、一泊して明日の朝敦煌に向かうことにした。
 
 彼女の名前は、張麗。僕より少し上の年齢で、中学校の社会教師をしているらしい。政治、経済について教えているそうだ。とりあえずご飯を食べよう、といって食事している間僕らは筆談でさらにいろいろ会話を続けた。
「ここへは、班超にあこがれてきたんだ。中国の歴史が好きで、史記や三国志を昔よくよんだんだよ」「あと、中国の本では西遊記とか水滸伝、詩では李白・杜甫が好きだ」
 好きだ、というよりはむしろ知っているもの全部を挙げたようなものだが、彼女は
「私もそういうの好きよ、あと紅楼夢とかも」
さすがに社会の先生だけある。ちょっと趣味が似てるのかもしれない。中国語ができなくても筆談でなんとかこの程度の会話はできるのだから中国ってのは楽しい国だ。
 そう会話している中でもけっこう支払について頭を悩ませる僕―中国って割り勘はないよね。こういう場合ってどうするんだろう。お世話になったからおごったほうがいいんだろうけど、中国人って面子を大事にしてるもんな。。。へたに、おごるよとか言っていいもんか―。とりあえず、いざ支払の段になってまずは支払う振りをしてみよう。そうおもって勘定のときにポケットからお金を出すと、彼女はなにもせずに黙って僕が払うのを見ていた。日本なら、「ここ俺が払うよ」「そんな、わるいですよ」「でも、いろいろお世話になったし、遠慮しないで」「それじゃあ。。。」というような会話が交わされるはずの場面だから少々面食らった。町を案内してくれたり、これから宿探しを手伝ってくれるみたいなので、もともと食事代は全部出す気でいたから、別にいいのだけれど。


「20元くらいの安いホテルがいいんだ」
こう、お願いすると彼女は直ぐにあるホテルに入って、値段交渉をまとめてくれた。
嘉峪関での苦労が嘘のようだ。田舎町だけあって、安いホテルはざらにあるのか、それともやはり中国語で値段交渉できるればあっさり安くなるのか。


 彼女もやはり、何か困ったことがあったら電話してと電話番号を書いて渡してくれた。僕が部屋に落ち着いたかと思うと、彼女は、名残惜しさも見せずに、ふわっと行ってしまった。


 まるで、蜃気楼のような。


 僕が立ち寄ったちっちゃなオアシスは、しかし、僕の渇きを潤すのに十分だった。