2004年8月25日水曜日

皇都招待所-嘉峪関


 夕方前に嘉峪関に到着した僕の宿探しは難航を極めていた。蘭州では一泊50元近くするシングルルームに泊まっていたため、このペースで行けばとても金が持たないと、僕は意地でも20元ほどの宿を探す気。だが、カメラと一緒にガイドブックまで盗まれてしまっていてはそうも簡単にいきはしない。
 「20元的房間」とか何とか書いてあるメモ帳を見せながら手当たりしだいめぼしそうな宿を当たってみるがとてもではないが僕の希望する額の部屋は無いようだった。そうして何軒か宿を回っていると、よっぽど運に恵まれているのか、僕が頼りなさそうに見えるのか、例によって親切な人が現れた。
 そのホテルに入って例によって「20元―」の紙を差し出すと、無いとフロントのおばちゃんは言った。ただ、それまでと違ったのはガードマンらしい制服を着た男を呼んで心当たりを探してくれたところである。ガードマンはいろいろ電話をして確認を取ってくれ、一つの招待所―招待所とは、ごくごく簡単に言えば一番低級なクラスのホテルである―を紹介してくれた。


 ホテルを出てメインの通りに戻り少し歩くとビルの2階にその招待所はあった。フロントで聞くと20元の部屋はあるとのこと。早速チェックインをしようとすると、「身分証明書を出せ」といわれる。パスポートを出したところ、フロントのおばちゃんは眉間にしわを寄せて「だめだ」と首を振った。外国人は泊められないらしい。
 中国の法律で決まっているのだろうが、外国人を泊められるには政府の許可か何かが必要なのである。外国人の管理と安全のために、あまりにも設備の悪い宿にはとまらせない方針のようである。この招待所はその許可を得てなかったのだ。


 また、途方にくれてさっきのホテルにひきかえして、パスポートを見せながら「外人はダメだった」ということをジェスチュアで伝えると、ガードマンもおばさんもようやく僕が日本人であることに気がついたようである。喋っても通じないので筆談していたにも拘らずだ。案外、香港人か在外中国人とか、思っていたのかもしれない。それとも中国では中国人同士でも筆談をすることが稀でないのか。
 それはともかく、再度やってきた客でもない僕に対してまたも2人でああでもない、こーでもないと話をして、英語の通じるホテルに電話かけてくれたりいろいろした挙句紹介されたのが「皇都招待所」であった。ガードマン風の話によると「30元と言っていたが、交渉すればまけてくれるだろう」とのこと。
 僕は、親切な皆に「非常感謝」とかいた紙を見せてホテルをあとにした。


 皇都招待所もやはり、大通りに面したビルの最上階にあった。つまり、ビルのワンフロアを宿としているのである。
 ここでもやはり「20元―」とさらに今回は「外国人OK?」と書いたメモを見せると、受付のお姉さん―おばさんというべきか微妙な年齢だけど―は早口で「○★◆◎!?」とまくしたてて、あわててきづいて一人でコロコロ笑い転げた。人のいい、愉快な感じの人だ。以下筆談―
「20元の部屋はないけど30元の部屋ならあるよ」
「でも、さっき聞いたところでは20元だって言ってたよ」
これは、あの人たちも30元と言っていた以上うそにはなるわけだけど。
「いや、30元」
「わかった。だったら20元にまけてくれ」
「ダメよ。みんなそれで泊まってるんだから」
「うーん、でも僕は学生で金が無いんだ。2泊するから2泊で50元にしてよ」
「わかった」
だいたい、こんなやり取りを経てようやく長い僕の宿探しはおわったのだった。


 皇都招待所は小さくて設備もたいしたことはないけれど、そのぶんアットホームな雰囲気をもっている。受付のお姉さんは、あいかわらず何か尋ねるたびに(もちろん筆談で)早口でまくし立てては僕が理解しないのに気づいていちいち笑い転げていてた。日本人がよっぽど珍しいのか、なんで嘉峪関に来ているのか、学生なのか、結婚しているのか、彼女はいるのか、等々、もう一人のおばちゃんと一緒になって質問攻めにしてきた。でも、こっちが尋ねたことにはきちんと答えてくれるし、自分がわからなかったら「ここで聞け」ときちんと教えてくれて本当に助かった。


 嘉峪関はゴビ―日本ではゴビ砂漠という特定の場所を表す固有名詞が有名だが、ゴビとは本来は岩でできた砂漠をさす一般名詞である―のなかにできたオアシスである。蘭州をすぎて西域に入ってくるとあたりはたいてい一面のゴビでその中にポッとあたかも島のようにオアシスがあり、町を形成している。嘉峪関から南を眺めれば漢の時代匈奴の根拠地とされた祁連山脈が雪をかぶっているのが望める。万里の長城はこの町から始まっており遥か北京のもっと向こうまで続いているのだ。近くの敦煌に比べれば大分落ちるもののシルクロードの主要な観光都市のひとつである。
 僕は、2泊してじっくり観光をした後、次の目的地、敦煌に向かうことにした。




嘉峪関は万里の長城の西端の地だ


 出発の朝、チェックアウトをしにいけば、例のころころ笑い転げるお姉さんが
「嘉峪関は楽しかった?」
筆談でこう聞いてきた。
「ああ、楽しかったよ」
「じゃあ、この町にまた来る?」
「うん、きっと」
多分もう来ることは無いだろうな、とは思ってたけど。
「そう、また来たら大歓迎するから」
彼女はそう書いてくれた。
中国でもこういう社交辞令ってあるんだなあ、と妙に感心した。それとも、本気で言っているのだろうか。
 それで、
「バスターミナルに行くのには、何番バスに乗っていけばいいの?」
と聞くと
「人力車で行ったほうがいいよ、2元しかかからないし。この人についていって」
と、もう一人のおばさんを指差した。
 フロントのお姉さんとさよならしておばさんについて下に下りると、おばさんは人力車―といっても自転車の後ろに幌馬車の座席をつけたようなやつだが―をつかまえてくれた。さらに、「3元だよー」と渋る運転手に「2元、2元」と押しまくって結局2元で押し切ってくれた。つくづく、親切な人たちである。


「再見―」
おばさんに向けてなのか、誰に向けてなのか、僕は挨拶して人力車に飛び乗った。
やっぱり、いつでも別れは少しさびしいものだ。

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