2004年8月15日日曜日

硬座24時-上海から蘭州へ


 翌朝、目覚めた僕は今日のチケットを買いに上海駅へと向かった。中国の都会にある駅の切符売り場の状況は、言葉にしにくいがとにかくすさまじい喧騒である。20ほどある窓口にそれぞれ何十人もの人々が並ぶ。当然、「列に並ぶ」という習慣がまだ十分に根付いていない中国のことだから割り込みは日常茶飯事である。最近では、オリンピックを視野に入れてかこのような割り込みを防止しようと、公安が割り込みを監視しているようである。僕の並んだ列でもそのような光景が見られた。
 正面の電光掲示板には、電車の出発地と到着地、電車番号、発車時刻が表示されて、さらにそれぞれの電車につき、軟臥・硬臥・軟座・硬座の空席の有無が表示される。できれば僕は硬臥のチケットがほしかった。軟臥というのは、ソフトスリーパー、日本で言うA寝台のようなもので、硬臥とはハードスリーパー、日本で言うB寝台のようなものだ。軟座というのは、日本で言うグリーン車のようなものである。最後の、硬座というものは、文字通り硬い座席である。日本の鈍行列車のような直角な対面シートになっている。硬座のチケットは安い。中国の一般庶民は夜行列車でもこの席のチケットをつかう。
 僕は、とりあえず西安行きの硬臥を第一希望にして、最悪硬座の蘭州ないし西安行きの切符を購入しようとその旨紙に書いて係員に出した。すると、あるはずの西安行きの硬臥はなく、何がどうなったのか蘭州行きの電車の西安までの硬座のチケットを買わされた。まあ、とりあえずこれで今日中に忌まわしき上海を脱出できることになった。蘭州までだと、24時間、硬座の旅である。


 昨日の失敗で懲りた僕は、もう町をうろうろするのをあきらめ駅に荷物を預け駅前をうろうろすることにした。それで、今度こそは無事電車に乗り込むことができた。
 自分の座席のある車両に行くと、すでに中国人で埋め尽くされていた。荷物を置く場所もない。強引にほかの人の荷物をずらしてなんとかスペースを作って自分の荷物を戸棚に載せることに成功する。この時点では、ほかの乗客は何か変わったやつがいる、程度に思っていただけで、日本人の単独旅行者とは考えてなかっただろう。


 不安を乗せた列車は発車した。何しろ、硬座に乗っているのは一般庶民である。治安を期待しろというほうが無理な注文だろう。停車するたびに荷物に気を使いながら、眠れぬ夜をすごすこととなった。


 いつのまにか、うとうとしてたらしく、翌朝5時ごろ目を覚ますと外はすでに明るく、洛陽から西安に続く道を走っているようだった。まさに中原から関中に入る道である。山の間を縫うようにして列車はゆく。
 何のきっかけだったか、反対側の座席に座っていたウイグル人風のおっちゃんがぼくに興味を持っていたようで、「君は韓国人か」ときいてきた。もちろん、最初何を言われているのかわからなかったから書いてもらったのだが。「違う。日本人だ」と筆談でかえしてから、いろいろな会話をした。中国にはいつ来たのか、日本にいつ帰るのか、等々。
 そのうち、僕の持っていた小さなギターをさして、あれは何だ、見せてみろという話になる。戸棚からおろして、ギターを取り出すと、自然な話の流れとして「弾いてみろ」ということになった。
―よわった―
 もちろん、こういう事態を想定しているからこそわざわざ日本くんだりからギターを持ってきているわけであるが、日本でも人前ではほとんどギターを弾いたことはなかったのである。思い切って、どうせ相手は何を歌ってるか分からないんだから、と一曲ひいてみる。すると、「なんか変な日本人がおかしなことやってるぞ」とばかりに車両中の人が注目しだした。まだ、朝っぱらの6時を回ったくらいである。大体、電車の中で歌ってるだけでも日本では考えられない。携帯で話すことすらマナー違反とされるくらいだから。
 盛大な拍手をもらってすっかり気をよくした僕は、さらに何曲も日本の曲を弾いて、歌った。
 ほうっておくと、きりなく続けることになりそうなので、筆談ノートに
「休憩」
と書いて一休みすることにした。


手前左がウイグル風のおじさん。宿も探してくれ、親切だった




 こういうことがあってから、電車の中は一気にすごしよくなった。トイレに行こうと思えば荷物を見ていてもらえるし、車窓に名勝が現れれば解説をしてくれる。昨日の盗難の経験からかなり警戒心でぴりぴりしていた僕も大分リラックスすることができた。その後も、西安行きの切符を蘭州までのものに差額を払って変えてもらったついでに、車掌さんと筆談したりして「勤務中いいのか」なんて思ったりした。いろいろおおらかな国ではある。
 なかなか面白かったのは中国人の女の子との筆談だった。


 西安から乗ってきたその女の子は、親父さんらしき人と二人づれだった。女の子をからかう親父さんに噛み付こうとしたりしてじゃれあっている。年は高校生か大学生くらい(あとで19とわかったが)のようにみえるが精神年齢は低そうだ。僕が、ほかの中国人と筆談などをしているとこちらを伺っている。そのくせ、だれかがあの日本人に興味があるのかとたずねると「興味ないわ」なんてすまし顔をしたりする。しかし、明らかに僕のことが気になっている様子だ。そんなわけで、女の子の向かい側に座ってみた。


 彼女は座席備え付けのテーブルの上で一元硬貨をコマのように回して遊んでいた。だが指ではじかず、普通のコマ回しと同じようにまわすもんだから勢いがでない。そこで、僕は左手の人差し指で硬貨を立てたままテーブルに押し付けつつ、右手の中指ではじいて回してみせた。
 コマは、勢いよく回った。


「コインを使って遊ぶのって楽しい?」
ニュアンスはよくわからない。いいトシして―という小ばかにしたつもりなのかもしれない。ともかく、彼女は僕の筆談ノートをとってそう書き込んだ。
「あなたの国にもコインってあるの?」
彼女は、さらに続けて書き込んだ。
僕は、少しいじわるっけを出して、親とじゃれあってる彼女をさして
「君は、親父さんとすごく仲がいいね」
と、わざと質問には答えないで、逆にからかった。すると、
「あんたほんとにむかつくわー。あんたみたいなガキに何が分かるのよ」
なんて書いてきた。ただ、別に険悪な雰囲気じゃない。
「あんたって、日本人っぽくないよ。ほんっといやだわ」
彼女はつづけた。
 僕は少しおかしくなって、さらにこの子をからかってみたくなって
「君って、素直じゃないよね」
と筆談ノートに書き足した。けっこうテンポのいい会話のようだけども、いちいち辞書で調べながら書いてるから実際は途切れ途切れだ。
「そうよ、素直じゃないの。私はとっても冷酷よ。人を殴るのが一番すきなの。あなた(中国語の)勉強したってうまくいかないわよ」
―残念だけど
「うまくいきそうだよ。君のおかげで」
僕も負けずにやり返す。実際、この子のおかげで辞書と悪戦苦闘しながらも何とか会話をつづけているのである。
「私って、ほんと不幸だわ。まだ、私をいじめるつもり!」
さすがにぼくもこのへんにしとこうかな、と思って
「そんなことないよ。僕はただ君に非常感謝してるだけなんだ」
これはもちろん正しい日本語ではないが、僕は実際「非常感謝」とノートに記したのである。


 「非常感謝」が効いたのかどうかは知らないが、雰囲気が変わった。
 彼女は、やけにしおらしい表情をしたかとおもうと、こう書いてきた。
「恋愛したことある?彼女いるんじゃない」
「いないよ」
「でも、恋愛したことはあるんでしょ」
「まあね」
「わかれたの?」
「そう」
ここまで来ると、一種礼儀だと思って
「君は彼氏いるの?」
と僕のほうも聞いてみた。
「いないわ。彼はもう別の人と結婚しちゃったのよ」
最初の感じとはうってかわってしゅんとしている。
「気を落とすなよ」
「がっくりしたわよ。今はどうしたらいいか分からないわ」
僕は、ちょっと慰める気になった。
「君、今いくつなの」
「18よ。すぐに19になるの」
「まだまだ若いじゃない。俺は23だよ」
と、ここから急に話の方向がおかしくなって、
「しってるわ。でも、私たちはだめなのよ」
「だめなのって、何が?」
うすうす答えは感づいていたが、一応聞いてみた。
「だって、私は中国人、あなたは日本人‥‥」
―どうしてこんなことになったんだ。別に口説くつもりはなかったし、口説き文句もなかったんだと思うけど―
 内心、苦笑いする僕にかまわず彼女はつづけた。
「あなた中国の女の子好き?中国好き?」
僕はもちろん、好き、と答えておいた。
「ありがとうね。今日はとっても愉快な一日だわ。わたしとってもうれしい」
最後は、気味が悪いくらい素直になった。
 僕は末っ子だけど、なにか妹のように彼女のことを感じたのだった。


 硬座24時の旅を終えて、電車は終点、蘭州駅に滑り込んだ。
彼女も、ここで降りる。
 降り際に、また例のすまし顔で
「再見!」
と手を差し出してきた。そのやけにすました顔が小憎らしい。
 僕は、愉快だった硬座24時ともさよならだな―と、一抹の寂しさを感じながら、手を差し出し返した。